映画鑑賞 Concussion

映画を見た。

 

一日暇だったので、次回のゼミに向けて色々リサーチする予定だったが、寝起きだったこともあり、頭が回らず、本を読み始めたら眠気が押し寄せてきたので、Netflixで『Concussion』映画を見た。

 

遺体を解剖して死因を特定する監察医として、アメリカのピッツバーグで働くナイジェリア出身のベネット博士(ウィル・スミス)が主人公の事実に基づく映画。解剖前に、遺体に対して話しかけたり、死体専用の道具しか用いないなどの患者(=死体)に対する敬意を怠らないベネットに、ある日、元アメリカンフットボールのスター選手で、50歳の若さで亡くなったマイクの死体の監察の仕事が回ってくる。マイクの解剖を進めた結果、死因は、現役時代、試合中の幾度の衝突により生じた脳震盪(Concussion)が脳に損傷を与え続けていたことがわかった。度重なる震盪による脳の損傷にCTEという病名をつけ、学術論文に掲載したベネットは、アメフトが原因でCTEという病気を患うことを長年組織ぐるみで隠蔽してきたNFLというアメリカンフットボール協会に追われることとなり、、、、、

といった感じのお話。

 

あらすじをザーっと書いてみて改めて思ったが、文章を書くのって難しい。

思考を言語化し文章にする目的は、他でもない「他者」に自らの考えを伝えるためだ。

(この議論は内田樹さんの「街場の文体論」で触れられている。)

だとすると、ブログだろうがTwitterだろうが、思考を文章にするには、他者を想定しなくてはならない。自分が伝えたいことだけを自分の視点にのみ依拠して、文章にすることは、自分のための文章を生むし、その類の文章は、読みづらい。(現に僕の文章はめちゃめちゃ読みにくいですゴメンナサイ)

もっと上手に書けるようになりたいものです。

 

話がそれたが、この映画を見て感じたことは、歴史的発見に伴う発見者の苦痛である。

 

歴史的発見が歴史的発見たる理由は、その発見がそれまでの常識を大きく変えるものであることにある。常識とはある時代の社会で支配的なイデオロギーのことであり、その常識が支配的であればあるほど、歴史的発見への人々への抵抗は大きい。あたりまえである。人は皆、違う価値観で生きているが、社会のなかで他者と共存とするには、多かれ少なかれ共通の認識が必要で、そのなかで大きな役割を果たすのが、常識や常識のもとで行われた行為の集積である慣習である。

 

憲法9条の改正の反対論者の反対の根拠のひとつとして、法的安定性という概念が用いられることがある。社会のルールである法律に従って(少なくとも法律に違反しないように)人々は行動しているという点で、人々はあるルールが存在することを想定して行動している。信号が赤の時は交差点をわたっちゃいけませんというようなルールは皆あたりまえに了解しているから、進行方向の信号が青のとき=交差する信号が赤の時は、自動車はスピードを落とすことなく交差点に進入するし、そこに歩行者はいない(ことになっている)から、事故は起こらない(ことになっている)。この信号の共通認識が明日とつぜん変わって、赤のときでもわたってOKというルールが生まれたら、とんでもない混乱に陥ることは想像に難くない。似たようなことが憲法改正に伴い起ころうとしている。歴代政府の9条の伝統的な解釈を、強引な形(解釈改憲)で変更し、安保法案のもとで、以前の共通のルールの下では行使すること想定されていなかった権利が突如、行使可能ということになれば、以前の共通のルールを想定してきた人々の間には、混乱が生まれる。わざわざ法的安定性の議論を引っ張ってきたのは、共通のルール=支配的イデオロギー=常識を変えることの難しさを訴えたかったからである。

 

アメリカンフットボールは、アメリカで絶大な人気を誇る国民的スポーツであり、ブラジルでいうサッカーのようなものであり、多くの国民から愛されている。子供から大人までが熱狂するスポーツをすることに、恐ろしい病のリスクが伴うことを世間に表明することは、それが意図的であるかどうかに関わらず、アメフトを貶めることになる。加えて、アメフトの価値を貶めることは、プレイヤー以外のアメフトで儲けている人たち(監督、取材する人、チームスタッフ、専門家など)にも影響するから、「被害」の多大さは計り知れない。それゆえ、ベネットがアメフトに伴う医学的リスクを学術論文の形で発表したとき、世間からものすごい抵抗を受けた。また、長年そのリスクを知りながら、隠すことで甘い蜜を舐めてきた脳外科医の権威からも、論文を取り下げるよう説得されていた。その外科医に対してベネットが放ったセリフが印象的だった。

                                                 

                ”History loughs”

 

”今のあなたの行い(=隠蔽)を責める人は今はいない。しかし、何十年も経ったあとで、子や孫の世代が今のアメフト協会やあなたのような医師の対応を見たら、「隠蔽という愚行を侵した愚かな者」としてあなたはきっと笑われることになる。”

 

刺さるメッセージだ。

 

歴史的発見は、今を否定することになるから、難しい。そんななかでも、自らの信念と科学を信じて、抵抗にも負けず行動し続けたベネットは、歴史を変えた。端的にいってカッコいいし、尊敬する。

 

歴史(とくに時代の転換点)は、単に事実関係だけを羅列して暗記するのではなく、背景にある転換に伴う苦痛を追体験しながら、勉強したいと思った。